歴女、白駒妃登美さんと金沢の歴史を訪ねる いしかわ観光特使探訪記 いつの時代も大切なのは“愛”

豪姫が祈った仏像と肖像画を前に。肖像画は額の部分が色落ちしている=大蓮寺

『ただのノートが100万冊売れた理由~話題の文具を連発できるキングジムの“ヒット脳”』の新刊を出版された美崎栄一郎さん。美崎さんには何かとアドバイスをいただいています。美崎さんのご紹介で今回は素敵な女性と出会いました。“人生に悩んだら「日本史」に聞こう”の 著者で「博多の歴女」こと白駒妃登美さんがその人。金沢に立ち寄られた白駒さんとともに、加賀藩の藩祖前田利家公の四女、豪姫の位牌所である大蓮寺(金沢市野町2丁目)を訪ねました。

歴女(れきじょ)。歴史や歴史小説に興味を持つ女性、歴史通の女性が増えています。歴女の代表格ともいえるのが白駒さん。白駒さんは、子どものころから伝記や歴史の本を読み、登場人物と対話することが何よりの楽しみだったという筋金入りの「歴女」。白駒さんが戦国ベストカップルに選ぶのが、宇喜多秀家と豪姫です。今回の歴史探訪はそのベストカップルの愛情の深さを思い知る機会になったのです。

豪姫は、前田利家と正室まつの四女。生後間もなく利家と仲が良かった豊臣秀吉の養女となり、15歳の時、秀吉と信頼が厚かった岡山城主宇喜多秀家に嫁ぎます。そんな豪姫の人生を大きく変えたのが天下分け目の関ヶ原の戦い。秀家は、秀吉への恩義から関ヶ原の戦いで西軍に加わり、徳川家康率いる東軍に敗れます。その結果、秀家に課されたのは、八丈島への流刑。宇喜多家は改易となり、二人の息子、数人の家来とともに秀家は八丈島へ。豪姫は、加賀前田家に身を寄せ、生き別れた秀家と二人の息子を思いながら1634(寛永11)年、61歳で生涯を閉じるのでした。

髙島ご住職(右)から豪姫のお話をうかがう=大蓮寺

 

大蓮寺には、豪姫を偲ばせる多くの品々が納められています。豪姫は金沢から500キロ離れた八丈島に向けて、日々、仏像に家族の無事を祈ります。豪姫は、絵師に描かせた自分の肖像画を米や金品とともに八丈島の秀家と息子たちのもとへ送ります。肖像画は、よく見ると額の部分が色落ちしています。息子たちが母を思い、来る日も来る日も額の部分を手でさすったために色が落ちたのだそうです。加賀藩は豪姫亡き後も、明治に至る250年間、八丈島の宇喜多家へ援助を絶やすことなく続けました。前田家の信義は、金沢に住む者として誇りに思います。

豪姫と夫・宇喜多秀家の供養塔を前に=大蓮寺

 

同行していただいた白駒さんは、ご説明いただいた大蓮寺の髙島訓導住職の話にさらに感動します。髙島住職によると、秀家は加賀から送られてくるお米を独り占めせず、八丈島の島民たちに分け与えたといいます。そのため、今でも八丈島から大蓮寺を訪れて、ご先祖に代わって豪姫にお礼を述べる方もいるそうです。白駒さんは「400年前に生きた人の溢れる愛が、今も人々の心を温かいものにしているんですね」と胸を熱くしていました。「愛に溢れた金沢の旅を、私は一生忘れません」とまで語ってくれました。「いしかわ観光特使」を拝命し、石川県の観光PRに当たる任を仰せつかっていますが、今後ともこうしたふるさとの誇れる歴史を多くの方に知っていただく役割を果たしたいと念じています。

白駒さんとともに豪姫と秀家の愛の深さを思うのでした

 

今回の探訪は、美崎さんのご縁で白駒さんとご一緒させていただき、旧知の永吉隼人さん、横山隆さんの協力を賜りました。ご縁と友情に感謝。

白駒さんの著書 “人生に悩んだら「日本史」に聞こう”は、歴史エピソードを白駒さんが女性の視点で掘り下げた興味深い一冊です。ぜひご一読を。